シークレットウィンドウでエロ動画を見ることについて

エロ動画戦士である皆さまの多くが、シークレットウィンドウでエロ動画を閲覧しているだろう。

私もその一人だった。

しかし、この何気ない日常の風景についてよく考えてみると、そこに罠が潜んでいることに気付いた。
罠というものは気付かないこそ効果を発揮するのであり、正体を暴いてしまえば、恐れるに足りない。

正体を暴いた以上、全国に散らばるエロ動画戦士の同志たちに共有すべきだという使命感に駆られ、これを書き連ねている次第である。

秘密を抱えるということ

私たちは生きていく中で、秘密を抱えることがある。

時に秘密は必要なものだろう。
それは然るべき安心感をくれることもあれば、大切な誰かを守ることもある。

しかし、少し考えてみてほしい。

私たちが抱える秘密は、本当にその全てが必要なものなのだろうか。

私たちは秘密を抱えることに慣れすぎてしまって、知らず知らずのうちに秘密を作りすぎてはいないだろうか。

秘密と嘘

秘密というものは、音もなく、しかし確実に、私たちの毎日に重荷を載せていく。

人に言えないことがあるという心の引っかかり。
それによって生じてしまった不要な嘘。
嘘を守るために重ねたさらなる嘘。

そうやって、秘密は私たちの毎日をどんどん複雑なものにしてしまう。

もちろん必要な秘密もあるだろうし、それを守るために考えを巡らすのは価値あることに違いない。

だが、自分に嘘までつかせて守ろうとする何かが、実は存在しないものだったとしたらどうだろうか。

シークレットウィンドウでエロ動画を見ること

結論から書くと、エロ動画を見る時にシークレットウィンドウを使わないことを、私は提唱している。

いや、分かる。
気持ちは分かる。

ブラウザの履歴がエロサイトで埋め尽くされた時の形容しがたい後ろめたさには、私たちに新規シークレットウィンドウを立ち上げさせる強い魔力がある。

しかし、よく考えてほしい。

それをシークレットにすることで、あなたは何を守ろうとしているのだろうか。

誰かを守る秘密

エロサイトについて考える前に、「守るべき秘密」というものをイメージしよう。

例えばあなたは、浮気に手を染めてしまったと、親友に悩みを打ち明けられたとする。

その秘密は決して他人に漏らしてはならない。
ここに異論はないだろう。

安心して悩みを打ち明けることで、激しい自己嫌悪と罪悪感に傷ついた親友は、心を軽くするかもしれない。

どんな時も味方でいてくれる信頼できる誰かがいること自体が、絶望の底にいる親友を救うかもしれない。

その秘密は、大切な親友を守るためのものだ。

エロ動画の秘密

だが、エロ動画を見ていることを秘密にすることで、あなたは何を守れるのだろうか。

エロサイトを閲覧したことを誰かに知られる羞恥心から、自分を守るのだろうか。
いや、違う。
あなたが日々エロサイトを見ていることなど、既に誰もが知っている。

人妻ものを閲覧したことを知られた時の社会的信用の失墜から、自分を守るのだろうか。
いや、違う。
あなたが人妻ものを見ていることくらい、顔を見れば分かる。(私もけっこう見る)

あなたがシークレットウィンドウを使って守れるものは何か。

答えは、何もない、だ。
そんなものは、存在しない。

私たちは実体のない恐怖それ自体に怯え続け、空虚な秘密を、抱える必要のない重荷を、自らの肩に載せ続けていたのである。
毎日、毎日だ。

シークレットウィンドウが奪うもの

そうした毎日の中で、シークレットウィンドウは私たちの日々を複雑にしていくだけはなく、大切なものを奪っている。

誇りだ。

私たちはシークレットウィンドウを使うことで、エロサイトを見たという事実自体をなかったことにしようとしている。
エロサイトを見ることを恥ずべき行為と捉えているのだ。

しかし、それは冒険だったのではないだろうか。
私たちが後ろめたさを感じてきたエロサイトの履歴は、数々の冒険を物語る記録なのではないだろうか。

新規シークレットウィンドウを立ち上げる度に、私たちの輝かしいはずの毎日を、自らの手で後ろめたいものにしてしまっているのではないだろうか。

誇りを失ったその姿勢が、私たちの輝かしい毎日を、かけがえのない冒険の数々を、シークレットウィンドウに閉じ込めてしまっているのではないだろうか。