まだおにぎりで消耗してるの?

朝、コンビニでおにぎりを買う。
腹持ちが良く、バリエーションも豊富。安価な上に、持ち運びも便利。
そんなおにぎりが朝ごはん界の頂点に君臨していることは、誰の目にも明らかだろう。
私も数え切れないほどのおにぎりを買ってきた。

しかし、最近ふと気付いたのだ。

おにぎりよりも、のり巻きの方が優れている。

それも、圧倒的に優れている。

のり巻きの方が優れている理由

のり巻きの優位性を端的に述べるとすれば、「デザイン」の一言に尽きるだろう。

時間幸福度曲線

まずはこちらの図を見ていただきたい。

おにぎりの時間幸福度曲線
おにぎりの時間幸福度曲線
のりまきの時間幸福度曲線
のりまきの時間幸福度曲線

これは横軸に時間、縦軸に幸福度をとったグラフとなっている。

これを積分したもの、すなわち図中の斜線部分の面積を比較することで、ある食べ物が及ぼす幸福度を比べることができる。

図を見ると、のり巻きの方が優れていることが一目瞭然だ。

グラフ形状の分析

単純に総面積が大きいということに加え、のり巻きは終始安定したパフォーマンスを発揮していることが見て取れる。

その要因は、食の進行方向に対して常に同様の断面を提供するというのり巻きのデザインにある。一口一口に具が入っており、食べ始めから終わりまで一貫して美味しい。常にベストパフォーマンスである。

一方でおにぎりは、食べても具が入っていない瞬間がとても多い。それは具が中心部に極端に集中しているというその中央集権的なデザインが原因だ。

おにぎりの中央集権的なデザイン
おにぎりの中央集権的なデザイン
のりまきの地方分権的なデザイン
のりまきの地方分権的なデザイン

もちろんおにぎりも和風ツナマヨおにぎりのように、ごはん自体が具と類似した機能を提供するものも存在するが、それが少数派であることは否めないし、どうしても邪道感がつきまとってしまう。

やはり正統派のおにぎりについて議論を進めるべきだろう。

何故、人はおにぎりを選ぶのか

それでも人がおにぎりを選ぶのは何故だろうか。

それは、おにぎりの方が種類が豊富だから。

これに尽きるのではないだろうか。

コンビニで意識的におにぎりコーナーを見てみると、そこには明らかなラインナップの差があることが確認できる。そう。おにぎりの方が種類が豊富なのだ。

おにぎり優位の社会の縮図
おにぎり優位の社会の縮図

この事実をどう捉えるべきか。

ラインナップの充実度は、その商品群の人気を表している。すなわち、のり巻きは人気がないために肩身の狭い思いをしているのだ。

ここで重要なのは、ラインナップの充実度は人気に依存しているに過ぎないということだ。決して、その商品の本質的な価値に依存している訳ではない。

今回展開した議論から分かるように、明らかにのり巻きのデザインの方が優れている。

人がおにぎりを選ぶのは、おにぎりが選ばれやすい社会のシステムが既に出来上がっているからであって、決しておにぎりのデザインが優れているからではない。これが私の主張だ。

何故、おにぎりの方が種類が豊富なのか

では何故、本質的にはのり巻きの方が優れているのに、おにぎりの方が種類が豊富な社会が出来上がったのか。

これは、全く分からない。

企業にとってその方が都合が良いという黒い理由があるのかもしれないし、単にのり巻きのデザインの優位性が社会に浸透していないだけなのかもしれない。

何か知っている方がいれば、是非教えていただきたい。

のり巻きから、世界を変える

世の中にはくそみたいなルールや慣習がたくさんある。そこに本質的な意味はなく、ただ偶然そうなってしまったとか、一部の人間の利益を守るとかいう理由だけで、多くの人にとって最善ではない仕組みができてしまう。

もしのり巻きの方が優れていると信じている人がのり巻きを買い続けたら、企業ものり巻きのラインナップを増やさざるを得なくなるだろう。

おにぎりの種類が豊富な社会は悪意を持って歪められたものではないとしても、我々は毎朝、世界をより良く変えるチャンスに触れているという主張には一定の真実が含まれているはずだ。

本質的に意味のない常識や慣習に捉われずに、自分が信じていることを大切にして、少しずつ行動を起こしていけば、世界は変わっていくのではないだろうか。