「愛とは何か」を見えるようにしようと試みた

愛には学ぶことなど何一つない、という考え方の底にある第二の前提は、愛の問題とはすなわち対象の問題であって能力の問題ではない、という思い込みである。愛することは簡単だが、愛するにふさわしい相手、あるいは愛されるにふさわしい相手を見つけることはむずかしい——人々はそんな風に考えている。

愛するということ——エーリッヒ・フロム

「愛って何だろう」と思って本を読んだりすると、なるほどと思うことが書いてある。

なるほどと思うのだが、まだ引っかかりがある。
なんというか、「じゃあ結局愛って何?」感がまだ自分の中にある。
人に説明できなくても良いから、自分の中では納得できるようになりたい。

本にも書いてあったが、知識を得るだけじゃダメで、その上で経験を積むことで習得していくことが必要らしい。恐らく私にはその段階が足りない。
「これから生きていく中で少しずつ分かるよ」と言われればその通りだと思うのだが、それでももっとすぐに直感的に理解できる方法がほしかった。

考えてみた。

 

愛が目に見えたらどうだろうか。

 

愛を見えるようにするために

「愛を目に見えるようにしよう」と考えた時に、問題があった。
私は愛のビジュアル的な姿を知らないので、直接的に愛を描くことができない。(私はあまり絵が上手ではないので、姿を知っていたとしても直接的に描くことはできない)
故に当然、私たちは愛というものを見ることはできない。

愛とは 1
愛は直接見えない

 

そこで、間接的に愛を見る方法を考えた。

私たちは愛の姿を見ることはできないが、世界の姿は見ることができる。

だから、愛が存在する世界と存在しない世界を描くことができれば、その違いを以て私たちは愛を認識できるはずだ。

愛とは 2
愛が反映された世界は認識できる

 

というわけで、愛が存在する世界としない世界を描くようなプログラムを作ってみた。

作ったもの

愛のある人とない人がいて、人と人が接触した時に、愛したり奪ったりしたりするようにしてみた。
プログラムの条件は動画中で説明する。

「そんなにはっきりと愛のある人とない人に分けられない」とか「life って何だよ」とか「表現次第で結果は全然違ったものになるだろう」と思う方もいるに違いない。私も思う。

でも、この基本的な原理自体は真実からそこまで遠いものではないんじゃないかとも思う。

  • 愛のある人は接触した誰かに何かを与え、同時に得る。
  • 愛のない人は接触した誰かから、何かを奪う。

自分が現実に直面する問題は複雑なものばかりだが、それが何故発生したかを突き詰めていくと、根源にはこの原理があるような気がする。

「みんなで愛が増えるように頑張ろう!」みたいな啓蒙活動にはなんか抵抗があるし、「俺は愛で世界を変える!」なんて言うほど正義感に溢れている訳じゃないけど、愛を持っていた方が色んなことが豊かになるとは思う。原理的に。

 

「いや、それでも全然違うと思う」とか「やっぱり根本的におかしくない?」ということがあれば、意見をいただけると嬉しいです。

参考