我々はどれくらい宮沢賢治なのか

先日、偶然「雨ニモマケズ」の一節が視界に飛び込んでくることがあった。

アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ

青空文庫より引用)

私は、ハッとした。

私は他人のことを、自分という物語の登場人物だと思っていたし、
人の話には「なるほど」とか言いながらも別のこと考えてたりするし、
故に、少なく見積もっても半分は忘れてる。

改めて「雨ニモマケズ」を読んでみた。

—— 賢治やべえ。

志すレベルたけえ。

私のような愚劣な人間でも彼のような高み、いや、深みと言った方が正確かもしれないが、いずれにしてもそういう場所に辿り着くために何かできないものかと考えた。

 

私に何ができるのか。

金もなければ権力も人脈もない。

あるのは、クソゲーアプリの開発経験から得られたわずかなプログラミングの知識と、賢治の描く生き方への憧れだけ。

それでも何かをしなければならなかった。

というわけで、賢治の目指す高みの前では愚劣と呼ばざるを得ない我々の精神レベルを測る診断を作ってみた。
(ちなみに自分でやったら残念な結果になった)

 

宮沢賢治に敬意を込めて。